大東精機工業
DSK AB型


最初のオーナーが亡くなり、その後お孫さんの御主人が引継ぎそして我が家にやって来た車両です。
外装は取り合えず少し磨いてタッチアップしました。
12〜13年程 エンジンは掛けていないそうでしたが、さすがはDSKでバッテリーを付け、電装を点検し、
ガソリンを入れてキックをしたら簡単に目覚めました。

DSKのシリンダーやピストンの材質は素晴らしいので、
何年も置いてある車両でもピストンが固着していると言う事はまずありません。
残念ながらプッシュロットの遊びが大きく、音が気になりますが
完全にオーバーホールされたグッドコンディションのエンジン音を聞いた事のない人なら気にならない程かもしれません。
しかし本来はエアークリーナーからの吸気音(シュッシュッ)とマフラーエンドから発する僅かな排気音(ポンポン)しか
聞えないのがDSKや旧BMWの特徴であり少しでもメカノイズの聞えるエンジンは愛好家からは
「ダメだなこのエンジンは・・・」と言われてしまいます。

大東精機工業が倒産した後、再建されたDSK工業で生産されたAB型はサイドカー用のアールズフォークになっている為、
ソロで運転すると独特のボトムリンクに似たフィーリングです。AB型以前のAー25モデルはテレスコピックなので
違和感なく走行出来ますが慣れていないライダーは乗りずらいなあと感じるかもしれません

BMW R26 をコピーしていますが、R27とは別物です。乗って見るとやはりR26の乗り味であり、R27の
高速型からすると非力に思えますがかえってソロで乗るときはちょうどいいのでしょう。
しかしソロの場合はやはりテレスコピックのナチュラルなハンドリングの方が軽快に走れます。

1950年代に日本で流行ったアールズ・フォークの中ではDSKに装着されているものが最高だと思います。
他社メーカーのアールズをみると形だけはアールズになっていても強度や材質がDSKの物と比べると確かに劣っていました。
中には数馬力しかない125ccに付けて販売しているメーカーも有りましたが当時もやはり「流行」と言うものがあったので、
メーカーとしても新しい事や変わった事をやってユーザーの心をつかみ、販売実績を確保したいと言う試みだった事が伺えます。

このAB型はサイドカーを引いていた形跡が有りました。持ち主は他所の町に置いてあると言う事を聞いていたそうですが
はっきりした場所を聞く前に義理の祖父が亡くなり、解らなくなってしまったと話していました。しかし昔、
このDSKを見ていた人は、あれはミナトの側車だったなあと思い出しながら語っていました。

この大東精機工業は火事で工場を失い、再建後 DSK自動車工業として営業していましたがやはり経営困難で倒産しました。
しかし物作りに対する徹底的な材質に拘る経営理念は他社を遥かに凌ぐものが有り非常に惜しまれたメーカーでした。
我が国に送り出した製品は、当時のライバル車の中では群を抜いて堅実な物となった訳です。

「BMW車のコピーだ」と言われる事も有りますが、しかし当時はここまで(材質まで)コピーする事自体が困難な時でした。
当時、外国車を模範としないメーカーなど無かったくらいの時代ですから、
日本で一番良い商品を作ろうとしたら世界で一番良い商品を模範としなければならなく、
必然的に選ばれたのがBMWであったようです。

大東精機のDSK号が国内から消えた直後、
兵庫県尼崎市に大東精機(株)という素晴らしい会社が誕生しているのは偶然でしょうか・・・