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作者

1954年 東京青山の日赤病院で高々と産声を上げ、この世にデビューを果たす。
角筈幼稚園の初登園日、自分ひとりで行くと言って門の前まで行ったが
そこから先に進めず、家に戻って来た。

有言実行が出来ないのは生まれた時からだったらしい。
以後11歳になるまで新宿で暮らす。

鉄人28号が大好きだった小学校時代の遊び場は小田急デパートだった。
あのブリキのおもちゃを買っておけば今、高く売れたのに・・・
角筈幼稚園から淀橋第1小学校へ入学、学校帰りに毎日必ず立ち寄る所があった。

それは魚屋さんである。
店先に並んでる魚がとても欲しかったのだ。
家に持って帰って水槽に入れれば泳ぎだすと信じていた。
以後、現在までナマズを飼育している・・・

4年生の時 先生が皆んなを連れて東京オリンピックのマラソンを見に行った事がある。
「今、アベベ選手が裸足で走って来るからね!皆んな良く見るんだよ」と言われ瞬きもせずに見ていると裸足の選手が2人いた。「先生どっちぃ!?」と聞くと「あっちかなあ?」
と言われた。
しかしその日、家に帰ってテレビのニュースを見たらアベベ選手がシューズを履いて走っていた。

先生のウソつき!ここで僕は人を疑う事を学んでしまった。

5年生の時、東京国立博物館に「トゥトゥアンクアメン」を見に行って、あの黄金のマスクに魅せられてしまい、その瞬間から僕の頭の中には「財宝」とか「秘宝」とか「お宝」などという言葉が埋め込まれた!

日本では「ツタンカーメン」と発音するらしい・・・

5年生の終わりには神奈川県横浜市の
日吉台小学校へ転校後、日吉台中学校に入学。

※この日吉に引越しして来た時の第一印象が、後に僕の北海道移住を決意させる事になった・・・

それは学校の校庭が、新宿の小学校は全面アスファルトに対し横浜の学校は「土」だったのだ。
幼いながらもすごく田舎に引っ越して来たんだなと感じていたが、その「土」の校庭で遊んでいるととても楽しかったのである。(新宿の学校の校庭では走ったりして転ぶと必ず手足を擦り剥く)周囲にはまだ田んぼが有り、アメリカ・ザリガニ(マッカチンと呼んでいた)や牛蛙、メダカ、クチボソなどたくさんの生物達がいて、僕にとっては楽園だったのである。

それが分かった時、人間には「土」や「樹」などの「自然」がいかに大切なのかを身をもって体感したのだ。


中学3年生の時、学校中大騒ぎになった事がある。
土曜日の午後、皆んな早く家に帰ってしまった。僕も早く家に帰らなければならなかった。

「THE BEATLES」来日!!

その頃はビデオデッキなど無かったから目に焼き付けておかなければならなかったのである。
当然ビートルズのコピーバンドを結成していた僕はベース担当でポール・マッカートニーと同じバイオリン型のグレコ製のエレキベースをアルバイトしたお金で買っていた。しかし、レパートリーは5曲くらいしかなかった・・・




受験勉強がすごくイヤだったので何とか法政大学付属第二高等学校へ推薦入学してもらった。
この高校時代で自分の生き方が決まったと思う。

毎日がとても楽しく単車の免許を取りに行った1日しか学校は休まなかった。

修学旅行を中止された為、クラス仲間と夏休みは毎年「伊豆七島」へ遊びに行っていた。
とにかく「本土」を離れてみたいという気持ちが強かったのだろう。
それこそ何十人も遊びに行き、新島の浜で同校の別グループと出会った事も有った。

夜の波打ち際がコバルト色に輝いていたのがとても印象的で初めて夜光虫という素晴らしく綺麗な生物を見た。
そして星の数にも驚いた。東京の空は汚れているのに今まで気がついていなかったのだ。


大学はそのまま進学したが何の想い出もない。    いや、思い出せばひとつ有った・・・

入学式の時、でかい友人と2人で学校のエレベーターに乗った時、その友人が嬉しくて飛び跳ねたとたんエレベーターが止まり、2時間以上閉じ込められ、解放された時には入学式は終わっていた・・・

楽しいキャンパス生活を期待したが非常に暗かった・・・。
可愛い学生は全員手前の駅で降りてしまうし・・・

そこで僕はバイトに明け暮れた。それはそれは楽しい事ばかりでお金も入ってくるし大好きなバイクや車も買える。



大学は食堂に飯を食いに行くだけになった・・・

20歳前後の5年間は原宿の表参道にあったフランス&イタリア料理店「スプレンドール」でずっと修行していた。
常連客には芸能人が多く、岩城滉一氏、舘ひろし氏、(クールスのメンバーは毎日のように)平泉征氏、清水章吾氏、中村雅俊氏、女優では中田喜子さん、秋吉久美子さん、坂口良子さん、ゴールデン・ハーフ、キャンディーズ、中でも沢田あや子さんや片平なぎささんなどは、この店からデビューするまでの間、毎日来店していた。おそらく男優、女優、アイドル、野球選手だけでも数十人の常連客がいたが、時代と共に原宿の町には「竹の子族」が繁栄し、町並みや歩く人々の年齢層が一気に若くなってしまい、落ち着いた表参道のイメージがなくなり、店のメニューも変えざるを得ないという事態になってしまった。

残念ながら自分自身の勉強にもならなくなってしまったのである・・・

そのころの僕はアメ車が好きで、マーキュリー・クーガーのXR7に惚れ込み、69年車と70年車を乗り継いで来た。以後車は何十台と乗り換えて来ているが金が無いので中古ばっかり!飽きっぽいんだと思うけど本当に欲しい車が買えるのならば乗り換えないと思う。しかたなく他の車に乗り換えるんだけどやっぱっり飽きてしまう。





24歳の夏 憧れの北海道へ移住を決意

北海道に来てからはバイクの方が楽しくて車はお金がかかるので辞める事にした。

旭川に来て就職してみると、関東の給料の半分だと言う事が判明!やって行けるのか?
でもみんな生きてる

大自然の中ではやっぱりバイクだ。旧車でノンビリ走るのも良いし、
レーサーレプリカでワインディングを走るのも良いし、とにかく最高である。
オフロードだって何処の林道でもっ入って行けちゃうから楽しくてしょうがない・・・。

サーフポイントは極端に少ないからやらなくなったけど、そのかわりスノーボードが出来るからとても楽しい。

 

「四季」と言う言葉や文字を意識したのは北海道で暮らすようになってからの事で、今までそんな事考えもしなかった。

1年で4回もの楽しみが有るのはこの雄大な大地「北海道」に尽きると思う。

最近ちょっと残念なのは景観の良い所が観光のポイントになって整備されて来ていると言う事だ。
便利なのかもしれないけど自然には余り手を入れないほうが綺麗なのに・・・


 


24歳から28歳までの5年間、日本石油の販売店でタンクローリーに乗ったりガソリンスタンドを手伝ったり商外部にも席を置いていた。そして北海道の企業には年1回、観風会という楽しい旅行が有る事を知った。
東京にはそのような風習は無かったので毎年色々な観光地に行けるから結構面白い。

28歳からは旭川パークホテル最上階にワインハウスを創りたいという話が来て迷わず職をもとに戻す。
その名は「ワインハウス・ルミネ」。ワインを貯蔵する倉庫カーヴの中の灯り、ルミネールに由来するネーミングだ。

毎週金曜日をワインデーとし、その日はワインの原価サービス、夜景を眺めながらピアノの弾き語りなどでとても賑わっていた。とにかく旭川市民にワインをもっと身近なものに感じてもらいたかったのだ・・・

そこで5年間ワインを勉強してソムリエを目指し’86年'87年とドイツワイン・インターナショナル・コンテストに参加、
2年目で全国5ブロックの北海道大会で4位入賞、全国大会BEST20入りという成績で終わる。
在籍中にはテーブルマナーの講師として新しくオープンするレストランやゴルフ場などに足を運んでいた。




その後、旭川パレスホテル建設の計画が有り、最上階にVIP対応の仏蘭西料理専門店を考えているとの事で
総支配人より熱意のあるお誘いを受け職場を移す事になった。

「北海道一のレストランを作れ!」

全ての事を任せて頂けるという条件で移籍を決意

そこではパークホテルでは創れなかったワインセラーを設計して全ての食器をイタリアの「リチャードジノリ」のインペログリーンで揃え、シルバー類はウェッジウッドを24金メッキの5層塗りというこの上ない程の贅沢な備品を揃え、当時の旭川では何処もやっていない事

それはシェフもギャルソンも「魅せるサービス」を行った。

オープンするにあたり人材確保と教育には語りきれない程の苦労をしたが、
自分の人生の中で最も充実した時であったと思う。しかし非常に残念な事では有るが
一身上の都合で僕が退いた3年後にこの素晴らしいレストランは消えてしまった・・・。その名は「クレア・フランセ」

そしてそれから1年後 「タイムトンネル」の歴史が幕を開ける・・・・



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